このあたりで現代の日本に目を移してみましょう。
戦前から映画界で活躍していた小津安二郎の『晩春』や『東京物語』など戦後の諸作品は、その混乱期における喧騒の中でもののあはれを見事に映像化したものとの定評があります。
社会性がないといけないと言う人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに、テーマにも社会性を要求するのは性急すぎるんじゃないか。ぼくのテーマは「ものの哀れ」というきわめて日本的なもので、日本人を描いているからには、これでいいと思う。*3
これら小津の諸作品は、その抒情性の点で世界の映画界が認めるところとなっています。
[The] Japanese director Yasujirō Ozu was well known for creating a sense of mono no aware, frequently climaxing with a character very understatedly saying "Ii tenki desu ne?" ( いい天気ですね、"Fine weather, isn't it?"), after a familial and societal paradigm shift, such as a daughter being married off, against the backdrop of a swiftly changing Japan. *4
日本の小津安二郎監督はもののあはれの感性を巧みに映像化することで知られていた。例えば急速に変化する日本社会を背景に、一人娘を嫁に出して、家族や社会の構成が変わった後で、しばしば俳優にごく控えめに「いい天気ですね」と言わせる場面で大団円を迎えると言う手法がこれである。
次の見方も「女性の感性」とか「諦念」とか、一面的に過ぎるきらいがありますが、観点の一つや二つであることには、間違いないでしょう。
「物のあはれを知る」は【…】「女性の感性の尊重」と言い換えることが出来ます。【…】宣長の発見したこの美意識は、近代になって小津安二郎監督の映画で花開きます。安二郎はこんなことを言っています。「私の映画は、物のあはれということだ。」【…】名門の商家の子として生まれながら、学芸の世界に入っていった二人【宣長と安二郎】は、手法こそ違えど共通するのは、「家」そして「家族」の来し方行く末を見つめる静かな想い、諦念なのです。*5
余談となりますが、小津家と本居家は親族関係にあると言うことです。また現在の日本映画界で小津の系統を引き継いでいる映画監督と言えば、庶民生活をペーソス豊かに描いた、寅さんシリーズの『男はつらいよ』で有名となった山田洋二あたりでしょうか。ところ変わってドイツの女流映画監督ドリス・デリー( Doris Dörrie )の作品『 Kirschblüten-Hanami 』( Kirschblüten – Hanami, 2008 )*6 は、小津安二郎へのオマージュと言うことで、冒頭の、ドイツ人夫妻が都会に出た子供たちを久々に訪問するが、皆時間もなく慌ただしい生活をしているところを描いた場面は、小津の『東京物語』から着想をえたと言うことです。
小津映画に出会ったのはもう 30 年も昔、映画大学に通っていたときのことでした。当時は、なんて退屈な映画だろうと思いました。その後、日本に行く機会があった り、娘を出産したりして人生経験を積んでからもう一度小津を見たとき、そのすばらしさが突然理解できました。本当にハートを直撃されたと言っていいくらいの衝撃でした。(ドリス・デリー)*7
2017 年にノーベル文学賞を受賞した日本生まれで、イギリス国籍の作家カズオ・イシグロは、子供の時に親の仕事の関係からイギリスに移住しましたが、伝統的な日本のやり方で育てられたため、日本的な感性は衰えていないと言うことで、本人も小津の『東京物語』は何度も繰り返して観たと言っています。日本語はあまりしゃべれないようですが、日本的なもの、古来から培われてきたしみじみとした情緒としてのもののあはれを大いに賞賛しています。
好きな日本語は、「もののあはれ」という表現。「日常にある悲しみ」とでもいうのでしょうか。私の好きな日本の文化の多くでカギとなる概念だと思います。小津安二郎監督の東京物語や村上春樹さんの小説にも「もののあはれ」があると思います。*8
ここではイシグロも「悲しみ」と言っていますが、これだけがもののあはれなのではないことは、これまでに述べてきたところです。また村上春樹のもののあはれをイシグロに説明してもらいたいところですが、世界的なベストセラーとなっているところを見ると、そこにもののあはれがあるとすれば、狭い日本だけではなく、普遍的に共感を呼ぶものであることが推察されるとも言えましょう。2018 年度は選考委員会の不祥事のためノーベル文学賞の発表が見送りとなりましたが、来年度から選考委員の顔ぶれが変わるとなると、村上春樹にも受賞のチャンスが回って来るかも知れません。本人も今年限りの代わりの文学賞へのノミネートを辞退しているところから見ても、ノーベル文学賞受賞への意欲は満々と言うところでしょうか。
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*3 小津安二郎。松竹『小津安二郎 新発見』、宣長と小津安二郎をつなぐものより引用。
*4 Wikipedia英語版、Mono no aware
*5 「物のあはれを知る~本居宣長と小津安二郎をむすぶ~ 松坂経営文化セミナー」2015年9月30日、東京日本橋公会堂のチラシから引用。
*6 „Kirschblüten – Hanami“ 参照。
*7 ドイツニュースダイジェスト、ベルリン国際映画祭特集、注目の二人にインタビュー、ドリス・デリー監督、浅野忠信さん。No. 702, 22.02.2008
*8 NHKインタビュー『ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 英国の小説家』早稲田大学文学学術院の都甲幸治教授は、イシグロ文学の魅力を次のように語っています。「現代文学の最先端の位置にいるともいえますし、同時にわれわれやっぱり『失われた過去』とか『子ども時代の感覚』とかなんかふと 沸いてくるとか有りますよね。そういうような日常的に感じる感覚とイシグロの作品がうまくあうような部分があるんじゃ無いかと思いますね。特に日本の話とか日本の感覚とか出てくるので日本の読者には開かれた作家かなと思う」(同上)